The Vacuum Technology Review

真空技術

コンダクタンス計算と排気系設計の実務知識

連載 第14回

Chapman-Enskog理論によるガス粘性係数の計算

剛体球モデルの限界からLennard-Jonesポテンシャルと衝突積分まで、粘性係数を理論的に見積もる方法と計算手順

Chapman-Enskog理論によるガス粘性係数の計算

層流(粘性流)領域のコンダクタンス計算には、ガスの粘性係数 η\eta が必要です(第4回)。空気や窒素なら実測値がすぐ見つかりますが、半導体プロセスで使う特殊ガスや、実測値のない温度条件では「理論的に見積もる」手段が欲しくなります。その標準的な方法が Chapman-Enskog理論 です。

この記事では、気体分子運動論の出発点である剛体球モデルから始めて、Chapman-Enskog理論の考え方、Lennard-Jonesパラメータを使った実用計算式、そして計算ツールに実装されている計算手順を解説します。

剛体球モデルとその限界

気体分子運動論の最も素朴な描像では、分子を直径 dd の剛体球(ビリヤード球)とみなします。このとき粘性係数は

ηHS=516d2mkBTπ\eta_{\mathrm{HS}} = \frac{5}{16\,d^2}\sqrt{\frac{m k_B T}{\pi}}

となります(mm: 分子1個の質量、kBk_B: ボルツマン定数)。この式から読み取れる重要な性質が2つあります。

  1. 粘性係数は圧力によらない。圧力を上げると分子数密度は増えますが、平均自由行程が反比例して短くなり、運動量輸送への寄与が相殺されるためです。これは希薄気体で実験的にもよく成り立ちます。
  2. 温度依存性は T\sqrt{T}。分子の熱速度が T\sqrt{T} に比例するためです。

ところが実在ガスの粘性係数を測ると、温度依存性は T\sqrt{T} より強いことが知られています。たとえば窒素の粘性係数は 293 K → 473 K で約1.39倍になりますが、T\sqrt{T} 則では1.27倍にしかなりません。剛体球モデルの「分子はぶつかるまで互いに力を及ぼさない」という仮定が粗すぎるのです。

Chapman-Enskog理論の考え方

実在の分子は、遠距離では弱く引き合い(分散力)、近距離では強く反発します。この分子間ポテンシャルを輸送係数の計算に取り込んだのがChapman-Enskog理論です。

理論の骨格は次のとおりです。

  1. 気体の状態を分子の速度分布関数 f(v)f(\boldsymbol{v}) で記述し、その時間発展をボルツマン方程式で表す
  2. 平衡からのずれが小さいとして、分布関数を平衡解(Maxwell分布)のまわりで摂動展開する(Chapman-Enskog展開
  3. 展開の1次の項から、粘性係数・熱伝導率・拡散係数といった輸送係数が、分子間ポテンシャルに依存する積分——衝突積分 Ω\Omega——を通じて求まる

つまりChapman-Enskog理論とは「分子間力のモデルを1つ決めれば、輸送係数が第一原理的に計算できる」枠組みです。剛体球モデルとの違いはすべて衝突積分 Ω\Omega に集約されます。

Lennard-Jonesポテンシャル

分子間ポテンシャルのモデルとして最も広く使われるのが Lennard-Jones (12-6) ポテンシャルです。

φ(r)=4ε[(σr)12(σr)6]\varphi(r) = 4\varepsilon\left[\left(\frac{\sigma}{r}\right)^{12} - \left(\frac{\sigma}{r}\right)^{6}\right]

パラメータは2つだけです。

パラメータ意味単位
σ\sigmaポテンシャルがゼロになる分子間距離。実質的な「分子径」Å
ε\varepsilonポテンシャル井戸の深さ。分子間引力の強さ。温度の次元に直した ε/kB\varepsilon/k_B [K] で表すのが慣例J(実用上は ε/kB\varepsilon/k_B [K])

r6r^{-6} 項が分散力(van der Waals引力)、r12r^{-12} 項が電子雲の重なりによる短距離反発を表します。各ガスの σ\sigmaε/kB\varepsilon/k_B は、粘性係数や第二ビリアル係数の実測にフィットして決められた値がデータベース化されており、計算ツールでは QuantemolDB の値を13種のガスについてプリセットしています。

粘性係数の実用計算式

Chapman-Enskog理論(1次近似)による粘性係数は、実用単位系で次の形にまとめられます。

η=2.6693×106MTσ2Ωv[Pas]\eta = 2.6693\times10^{-6}\,\frac{\sqrt{M\,T}}{\sigma^{2}\,\Omega_v} \quad [\mathrm{Pa\cdot s}]
  • MM: 分子量 [g/mol]
  • TT: 温度 [K]
  • σ\sigma: LJ径 [Å]
  • Ωv\Omega_v: 粘性の衝突積分(無次元)

係数 2.6693×1062.6693\times10^{-6} はBird, Stewart, Lightfoot『Transport Phenomena』で知られる定数をSI(Pa·s)に直したものです。

衝突積分 Ωv\Omega_v換算温度 T=T/(ε/kB)T^* = T/(\varepsilon/k_B) だけの関数で、数表として与えられていますが、実装にはNeufeldらの近似式が便利です。

Ωv=1.16145T0.14874+0.52487e0.7732T+2.16178e2.43787T\Omega_v = \frac{1.16145}{T^{*\,0.14874}} + \frac{0.52487}{e^{0.7732\,T^*}} + \frac{2.16178}{e^{2.43787\,T^*}}

この近似式は 0.3T1000.3 \le T^* \le 100 の範囲で数表との差が0.1 %程度に収まります。計算ツールもこの式を実装しています。

Ωv\Omega_vTT^* とともに単調に減少します。剛体球なら Ωv=1\Omega_v = 1(定数)ですが、実在分子では低温ほど引力の影響で実効的な衝突断面積が大きくなり(Ωv>1\Omega_v > 1)、高温では速い分子が反発壁に深く食い込むため断面積が小さくなります(Ωv<1\Omega_v < 1)。分母の Ωv\Omega_v が温度とともに減るので、η\etaT\sqrt{T} より速く増える——剛体球モデルの弱点がここで解消されます。

計算例:窒素・293.15 K

手順を追って計算してみます。窒素のパラメータは M=28.013M = 28.013 g/mol、σ=3.80\sigma = 3.80 Å、ε/kB=71.4\varepsilon/k_B = 71.4 K です。

手順1 — 換算温度

T=Tε/kB=293.1571.4=4.1057T^* = \frac{T}{\varepsilon/k_B} = \frac{293.15}{71.4} = 4.1057

手順2 — 衝突積分(Neufeld近似式)

Ωv=1.161454.10570.14874+0.52487e0.7732×4.1057+2.16178e2.43787×4.1057=0.9634\Omega_v = \frac{1.16145}{4.1057^{0.14874}} + \frac{0.52487}{e^{0.7732 \times 4.1057}} + \frac{2.16178}{e^{2.43787 \times 4.1057}} = 0.9634

手順3 — 粘性係数

η=2.6693×106×28.013×293.153.802×0.9634=2.6693×106×90.6213.912=1.739×105 Pas\eta = 2.6693\times10^{-6} \times \frac{\sqrt{28.013 \times 293.15}}{3.80^{2} \times 0.9634} = 2.6693\times10^{-6} \times \frac{90.62}{13.912} = 1.739\times10^{-5}\ \mathrm{Pa\cdot s}

窒素の実測値は約 1.76×1051.76\times10^{-5} Pa·s(20 ℃)なので、誤差は1 %強です。層流コンダクタンスは η\eta に反比例するだけなので、この精度なら設計計算には十分です。

プリセット13ガスの計算結果(293.15 K)

計算ツールにプリセットされている13種のガスについて、同じ手順で計算した結果です。

ガスMM [g/mol]σ\sigma [Å]ε/kB\varepsilon/k_B [K]TT^*Ωv\Omega_vη\eta [10⁻⁵ Pa·s]
He4.0032.5810.2228.680.7051.95
Ne20.182.8232.88.940.8393.08
Ar39.9483.54293.33.141.0272.24
Kr83.7983.655178.91.641.2672.47
Xe131.2934.082206.91.421.3472.33
H₂2.0162.9435.68.230.8500.88
N₂28.0133.8071.44.110.9631.74
O₂31.9993.47106.72.751.0652.02
CO28.013.6991.73.201.0221.74
CO₂44.013.94195.21.501.3131.49
CH₄16.0423.821372.141.1491.09
CF₄88.0044.70152.11.931.1911.63
SF₆146.0555.1282211.331.3871.51

いくつか物理的な傾向が読み取れます。

  • 重いガスほど粘性が大きいとは限らないηM/σ2\eta \propto \sqrt{M}/\sigma^2 なので、SF₆のように重くても分子が大きい(σ\sigma 大)ガスは粘性が小さめになります
  • H₂の粘性は際立って小さい。軽さ(M\sqrt{M} 小)が効いています。水素を大量に流すプロセスでは、同じ配管でも層流コンダクタンスが窒素の約2倍になります
  • 希ガスは粘性が大きい。単原子分子で σ\sigma が小さいためです

温度依存性

窒素について温度を振った結果です。「T\sqrt{T} 則」の列は、293.15 Kの値を T/293.15\sqrt{T/293.15} でスケーリングした(剛体球的な)見積りです。

TT [K]Chapman-Enskog [10⁻⁵ Pa·s]T\sqrt{T} 則 [10⁻⁵ Pa·s]
77(液体窒素温度)0.560.89
195(ドライアイス温度)1.281.42
273.151.651.68
293.151.741.74
373.152.061.96
473.152.422.21
673.153.052.64

室温付近の±20 K程度なら T\sqrt{T} 則でも実用上問題ありませんが、ベーキング中(100〜200 ℃)の粘性流計算や低温トラップまわりでは、Ωv\Omega_v の温度依存を含むChapman-Enskog計算との差が1割を超えてきます。

適用範囲と注意点

Chapman-Enskog理論(+LJポテンシャル)は万能ではありません。適用時の注意点を挙げます。

  • 希薄気体理論である。「粘性係数は圧力によらない」が成り立つ密度範囲(おおむね大気圧以下〜粘性流領域)が対象です。逆に圧力が下がりすぎて分子流領域に入ると、そもそも粘性という概念が配管内の流れを支配しなくなります(第2回
  • 無極性分子向け。H₂OやNH₃のような強い極性分子では、LJポテンシャルでは引力の記述が不十分で、Stockmayerポテンシャルなど双極子項を含むモデルが必要です
  • 1次近似。ここで示した式はChapman-Enskog展開の1次近似 [η]1[\eta]_1 です。高次補正は単原子気体で1 %未満なので、実用上は無視できます
  • 混合ガスはWilkeの混合則などで各成分の η\eta から合成します。プロセスガス+キャリアガスの系では成分比によって粘性が単調に変わらないこともあります

計算ツールでの使い方

計算ツールでは、この記事の計算がそのまま自動化されています。

  1. 「ガス(QDB)」からガスを選ぶと、分子量・LJ sigma・LJ epsilon/k がプリセットされる
  2. 温度 T を設定すると、Chapman-Enskog eta 欄に TT^*Ωv\Omega_vη\eta が即時計算されて表示される
  3. 層流計算のetaへ反映」にチェックを入れると、計算された η\eta が層流モデルのコンダクタンス計算に使われる

プリセットにないガスでも、文献から σ\sigmaε/kB\varepsilon/k_B を調べて直接入力すれば同じ計算ができます。

まとめ

  • 剛体球モデルは「粘性は圧力によらない」ことを正しく予言するが、温度依存性(T\sqrt{T})が実測より弱い
  • Chapman-Enskog理論は分子間ポテンシャルを衝突積分 Ωv\Omega_v として取り込み、この弱点を解消する
  • LJパラメータ(σ\sigma, ε/kB\varepsilon/k_B)とNeufeld近似式を使えば、η=2.6693×106MT/(σ2Ωv)\eta = 2.6693\times10^{-6}\sqrt{MT}/(\sigma^2\Omega_v) で実測±数%の粘性係数が電卓レベルの計算で得られる
  • 層流コンダクタンスは η\eta に反比例するため、この精度は排気系設計に十分

ガス物性がコンダクタンスに与える影響の全体像は第7回を、層流コンダクタンス式そのものは第4回を参照してください。