The Vacuum Technology Review

真空技術

コンダクタンス計算と排気系設計の実務知識

連載 第15回

CAEによる真空シミュレーションの手法

連続体CFD・DSMC・テスト粒子モンテカルロ・回路網モデルの使い分けと、解析解によるベンチマークの実務

CAEによる真空シミュレーションの手法

この連載で扱ってきたコンダクタンスの式(第4回)は、断面が一定の直管を前提とした1次元的なモデルです。実際の装置設計では、

  • チャンバー内の圧力分布(基板面での圧力むら、ゲージ取付位置の影響)
  • バッフル板や複雑な3D形状を通る流れ(第13回では係数で近似しました)
  • 排気開始からの過渡挙動(粗引きカーブ、アウトガスによる圧力履歴)

のように、式では追い切れない問いに突き当たります。ここで登場するのがCAE(数値シミュレーション)です。ただし真空のCAEは「1つの万能ソルバー」では済みません。圧力域(流域)によって支配方程式そのものが変わるため、手法の選択がそのまま結果の正しさを左右します。この記事では、流域ごとの代表的な手法と使い分け、そして実務で欠かせない「解析解によるベンチマーク」を解説します。

出発点はクヌッセン数

第2回で見たとおり、流域はクヌッセン数 Kn=λ/DK_n = \lambda / Dλ\lambda: 平均自由行程、DD: 代表寸法)で判別されます。CAE手法の選択もこの区分に従います。

流域KnK_n の目安支配的な描像代表的なCAE手法
粘性流Kn<0.01K_n < 0.01連続体。分子同士の衝突が支配連続体CFD(Navier-Stokes)
すべり流0.01Kn0.10.01 \lesssim K_n \lesssim 0.1ほぼ連続体だが壁面で速度が滑るCFD+すべり境界条件
中間流(遷移流)0.1Kn100.1 \lesssim K_n \lesssim 10連続体近似も自由分子近似も破綻DSMC、BGK系ソルバー
分子流Kn10K_n \gtrsim 10分子は壁としか衝突しないテスト粒子モンテカルロ、角度係数法

まず対象の圧力と寸法から KnK_n を見積もる——これがCAE選定の第一歩です。1つの装置でも、大気圧付近の粗引き初期は連続体、プロセス圧(数Pa)で中間流、到達圧では分子流と、運転シナリオの中で流域をまたぐことは珍しくありません。

連続体CFD:粘性流〜すべり流

Kn<0.01K_n < 0.01 では、通常の流体解析(Navier-Stokes方程式)がそのまま使えます。ANSYS FluentやOpenFOAMなどの汎用CFDで、圧縮性・層流設定で解くのが基本です(真空配管のレイノルズ数は小さく、乱流になることはまれです)。

KnK_n が0.01を超えると、壁面で気体が滑り始めます。連続体CFDを延命させるのがすべり境界条件(Maxwellのすべりモデル)で、壁面での滑り速度を

uslip=2σvσvλunwallu_{\mathrm{slip}} = \frac{2-\sigma_v}{\sigma_v}\,\lambda \left.\frac{\partial u}{\partial n}\right|_{\mathrm{wall}}

のように速度勾配と平均自由行程で与えます(σv\sigma_v: 運動量適応係数)。これで Kn0.1K_n \sim 0.1 程度までは実用精度が保てますが、それ以上は連続体近似そのものが破綻するため、係数をいじっても精度は戻りません。

なお、この領域のCFDに与える粘性係数には、第14回のChapman-Enskog計算値がそのまま使えます。

分子流:テスト粒子モンテカルロ(TPMC)

Kn10K_n \gtrsim 10 の分子流では、分子同士の衝突が無視できるため、問題は劇的に単純になります。分子を1個ずつ飛ばして幾何学的に追跡するだけでよいのです。これがテスト粒子モンテカルロ(Test Particle Monte Carlo, TPMC)で、代表的な実装がCERN開発の無償ツール Molflow+ です。

手順は次のとおりです。

  1. 入口面から分子を発生させる(速度方向は壁面反射と同じ余弦則に従う)
  2. 3D形状の中でレイトレーシングし、壁に当たるたびに余弦則で拡散反射させる
  3. 出口に到達した分子の割合=透過確率 KK を数える

透過確率が求まれば、分子流コンダクタンスは開口の式(第3回)に掛けるだけです。

C=Kvˉ4AC = K \cdot \frac{\bar{v}}{4} A

L/DL/D が小さい短管では、長管近似式 K4D3LK \approx \dfrac{4D}{3L} が端面効果で大きく外れます(この補正が Clausing 係数で、例えば L/D=1L/D = 1 の円管では K=0.514K = 0.514)。TPMCはこの端面効果も、バッフルの影も、幾何形状として自然に取り込めるのが強みです。壁への吸着(付着確率)やアウトガス面の分布を与えれば、チャンバー内の到達圧分布や分子入射フラックス分布も得られます。

注意点は統計ノイズです。結果は 1/N1/\sqrt{N}NN: 追跡分子数)でしか収束しないため、透過確率が小さい系(長い配管、迷路状のバッフル)では分子数を桁で増やす必要があります。

もう1つの分子流手法が角度係数法(COMSOLのFree Molecular Flowモジュールなど)です。余弦則に従う分子のやり取りは輻射伝熱の形態係数と数学的に同型なので、面同士の「見え方」を積分方程式として解きます。モンテカルロのノイズがなく滑らかな圧力分布が得られる一方、面分割の細かさに計算量が強く依存します。

中間流:DSMC

最も手ごわいのが 0.1Kn100.1 \lesssim K_n \lesssim 10 の中間流です。分子同士の衝突も壁との衝突も両方効くため、ボルツマン方程式を直接扱うしかありません。その事実上の標準が DSMC(Direct Simulation Monte Carlo、Bird法) です。

DSMCは、1個で実在分子の 101010^{10} 個以上を代表する「シミュレーション分子」を空間セルに配置し、

  • 移動(自由飛行と壁面反射)
  • セル内でのランダムな分子間衝突のサンプリング

を時間ステップごとに繰り返します。オープンソースでは Sandia National Laboratories の SPARTA や OpenFOAM 系の dsmcFoam+ が実績豊富です。

DSMCで精度を出すには、離散化の条件を守る必要があります。

  • セル寸法は平均自由行程より小さく(目安 λ/3\lambda/3 以下)
  • 時間ステップは平均衝突時間より短く
  • セルあたりのシミュレーション分子数は目安20個以上

この条件は圧力が上がる(λ\lambda が縮む)ほど厳しくなり、計算コストが急増します。つまりDSMCは連続体側から攻めるには重すぎ、CFDは分子流側に伸ばせない——中間流が「手法の谷間」と呼ばれるゆえんです。実務では、中間流を DSMC で真面目に解くのは装置の性能を左右する局所(プロセスチャンバー内など)に絞り、配管系は 第2回で触れたKnudsenの補間式や、後述の回路網モデルで済ませるのが現実的です。BGK方程式に基づく決定論的ソルバーや情報保存法(IP法)など、ノイズなしで中間流を解く手法も研究・実装が進んでいます。

排気系全体は回路網モデルで

3D CAEは強力ですが、排気系「全体」の設計検討には過剰なことが多いです。ポンプ・配管・バルブ・チャンバーを要素として結ぶ0D/1D回路網モデル(電気回路アナロジー: 圧力=電圧、スループット=電流、コンダクタンス=コンダクタンス)なら、

1Seff=1S+1Ctotal\frac{1}{S_{\mathrm{eff}}} = \frac{1}{S} + \frac{1}{C_{\mathrm{total}}}

という第5回の合成則と、VdP/dt=QgasSeffPV\,dP/dt = Q_{\mathrm{gas}} - S_{\mathrm{eff}}P 型の質量収支ODEを解くだけで、粗引きカーブや到達圧のパラメータスタディが秒単位で回せます。第13回で手計算した内容は、まさにこの回路網モデルの1ケースです。各要素のコンダクタンスには本サイトの計算ツールの式がそのまま使えます。

3D CAEと回路網の役割分担——形状の効き方(バッフルの透過確率など)は3Dで一度だけ求めて係数化し、システム検討は回路網で回す——が、実務で最も費用対効果の高い組み合わせです。

実務ワークフローと境界条件

手法が決まったら、モデル化で迷いやすいのは境界条件です。

対象与え方
ポンプ排気速度 SS [m³/s]、または分子流なら捕獲確率(ポンプ口に入った分子が戻らない確率)。ターボ分子ポンプで0.2〜0.4程度
ガス導入質量流量(sccm→Pa·m³/s 換算。第13回参照)
アウトガス面あたりのフラックス [Pa·m³/(s·m²)]。材質・処理履歴に依存(第10回第12回
壁面反射拡散反射(余弦則)が既定。鏡面成分や付着確率は必要な場合のみ

そして最も重要なのが**ベンチマーク(検証)**です。いきなり実形状を解かず、解析解のある形状で必ずソルバーと設定を検証します。

  1. オリフィス: C=(vˉ/4)AC = (\bar{v}/4)A を再現できるか
  2. 円管: 透過確率がClausing係数(L/D=1L/D=1 で 0.514)に合うか
  3. 長管: 計算ツールの層流・分子流の式と一致するか

ここで数%以上ずれるなら、メッシュ・分子数・境界条件のどれかが間違っています。逆に言えば、この連載で扱った解析式は「CAEの答え合わせ」としてCAE時代にも現役です。

手法とツールのまとめ

手法流域代表ツール得意弱点
連続体CFD(+すべり)Kn0.1K_n \lesssim 0.1ANSYS Fluent、OpenFOAM粗引き・ロードロック、熱連成低圧側に伸ばせない
TPMCKn10K_n \gtrsim 10Molflow+(無償)3D形状の透過確率、到達圧分布統計ノイズ、中間流不可
角度係数法Kn10K_n \gtrsim 10COMSOL FMFノイズなしの圧力分布面分割に計算量が依存
DSMC0.1Kn100.1 \lesssim K_n \lesssim 10SPARTA、dsmcFoam+中間流の第一原理計算計算コスト大
回路網(0D/1D)全域(式の適用範囲で)表計算・SPICE的自作、市販1Dツール系全体の設計検討・過渡形状の効果は係数化が必要

まとめ

  • 真空CAEは KnK_n による手法選択がすべての出発点。粘性流はCFD、分子流はTPMC/角度係数法、中間流はDSMCと使い分ける
  • 分子流は「分子同士が衝突しない」おかげで、レイトレーシング(Molflow+)で複雑3D形状も直接解ける。得られる透過確率は C=K(vˉ/4)AC = K(\bar{v}/4)A でコンダクタンスに変換できる
  • 中間流のDSMCは強力だが重い。実務では局所に絞り、系全体は回路網モデル+補間式で回す
  • どの手法でも、オリフィス・円管など解析解でのベンチマークを省かない。この連載の式と計算ツールは、そのための「正解表」として使える

次のステップとしては、Molflow+で自装置のバッフル透過確率を一度求めてみるのがおすすめです。第13回で係数として置いた値を、自分の形状で裏取りできます。