連載 第16回
排気系の回路網モデル入門
電気回路アナロジーで排気系全体を解く。節点方程式・過渡解析・到達圧の計算例と、分子流直列合成の落とし穴
排気系の回路網モデル入門
第15回の最後で、排気系「全体」の設計検討には0D/1Dの回路網モデルが最も費用対効果が高い、と述べました。この記事ではその中身を具体化します。ポンプ・配管・チャンバーを電気回路の要素に対応させると、排気系の定常圧力分布も過渡挙動も、回路解析と同じ手順で解けるようになります。連載で積み上げてきた式(第3回〜第5回)が、そのまま回路の「素子値」になります。
電気回路とのアナロジー
真空排気系と電気回路の対応は次のとおりです。
| 真空排気系 | 記号・単位 | 電気回路での対応 |
|---|---|---|
| 圧力 | [Pa] | 電圧 |
| スループット(ガス流量) | [Pa·m³/s] | 電流 |
| コンダクタンス | [m³/s] | コンダクタンス(抵抗の逆数) |
| チャンバー容積 | [m³] | 静電容量(グランドとの間のコンデンサ) |
| アウトガス・リーク・ガス導入 | 電流源 | |
| ポンプ(排気速度 ) | [m³/s] | グランド()へつながるコンダクタンス |
配管を流れるスループットが と書けること(第3回)が、オームの法則 と同型である——これがアナロジーの根拠です。ポンプは「入ってきた気体を圧力ゼロの世界へ流すコンダクタンス 」とみなせます()。
定常解析:節点方程式
回路と同じく、各ノード(チャンバーや配管の合流点)で流量の収支を取るのが基本です。ノード について
(: ノード間のコンダクタンス、: そのノードへのガス発生量)。これはキルヒホッフの電流則そのものです。
重要なのは、分子流ではコンダクタンスが圧力によらないため、この連立方程式が線形になることです。ノードが何個あっても、行列を1回解けば全ノードの圧力が出ます。直列合成 や並列合成 (第3回)、実効排気速度 (第5回)は、この節点方程式を2〜3ノードの場合に手で解いた結果にすぎません。
過渡解析:チャンバーはコンデンサ
チャンバーの圧力変化は、容積 への気体の出入りの収支です。
これはRC回路の充放電と同じ1次遅れ系で、解は
となります。設計で使う2つの量がここから直接読めます。
- 時定数 — 排気の速さ。1桁下げるのに かかる
- 到達圧 — アウトガスと実効排気速度の綱引きの落としどころ(第10回)
計算例:1ノードの高真空排気
数字を入れて一巡してみます。次の系を考えます(ガスはN₂、293.15 K、 m/s)。
- チャンバー: 容積 m³、内表面積 m²、アウトガス Pa·m³/(s·m²)
- 配管: 内径 m、長さ m の円管
- ポンプ: ターボ分子ポンプ m³/s(300 L/s)
手順1 — 配管の分子流コンダクタンス(第4回の式、または計算ツール)
手順2 — 実効排気速度
300 L/sのポンプを買っても、この配管ではチャンバーから見ると87 L/s。配管がボトルネックです。
手順3 — 到達圧と時定数
手順4 — 排気時間 — Pa(この系では でほぼ分子流)から到達圧の2倍まで下げるのに
容積の排気自体は数秒で終わり、そこから先は 付近で頭打ちになる——「到達圧はアウトガスで決まり、排気時間は で決まる」という高真空排気の定石が、そのまま式に現れています。実際にはアウトガス 自体が時間とともに減衰するため(第12回)、長時間側は を与えた数値積分になります。
非線形になる場合
分子流の外に出ると、素子値が一定でなくなります。
- 層流領域: (平均圧力に比例。第4回)。粗引き中はコンダクタンスが刻々と変わる
- ポンプ特性: 排気速度 は圧力依存(第9回)。ロータリーポンプの立ち上がり、ターボ分子ポンプの高圧側の失速など
- 中間流: Knudsenの補間式などで を与える(第2回)
このため大気圧からの粗引きシミュレーションは、・ を各時間ステップで更新しながら 式を数値積分します(前進オイラー法で十分なことが多いですが、時定数が短い局面では刻み幅に注意)。それでも1本のODEを解くだけなので、3D CAEに比べれば計算は一瞬です。パラメータを振って配管径やポンプ容量を決める使い方に向いています。
分子流の直列合成の落とし穴
回路網モデルで最も誤差を生みやすいのが、分子流での直列合成です。 は「各要素の入口で分子の方向分布が余弦則に戻る」ことを暗黙に仮定していますが、実際には上流の管を抜けてきた分子は軸方向に偏っています(ビーミング効果)。要素を細かく刻んで直列合成すると、この仮定違反が累積してコンダクタンスを過小評価します。
対策は、透過確率 (第15回)ベースの合成則を使うことです。同一断面の要素の直列には Oatleyの式
が使えます。効果を数字で見ると、 の円管()を2本つないだ場合:
| 方法 | |
|---|---|
| 単純直列 | 0.257 |
| Oatleyの式 | 0.346 |
| 厳密値( の円管のClausing係数) | ≈ 0.357 |
単純直列は3割近く過小評価するのに対し、Oatleyの式なら誤差3%程度に収まります。管路の途中にオリフィスやバルブが挟まる系では、この差が排気時間の見積もりに直結します。エルボや複雑形状の は、第15回のTPMC(Molflow+)で一度求めて係数化すれば、回路網に組み込めます。
サンプルExcelシート
この記事の計算を、そのまま数式入りのExcelシートにまとめました。
vacuum-network-model.xlsx をダウンロード(約20 KB)
| シート | 内容 |
|---|---|
| 定常計算 | ガス条件( の計算)→ 配管コンダクタンス → 実効排気速度 → 到達圧・時定数・排気時間。本文の計算例と同じ値が入っています |
| 過渡解析 | 前進オイラー法による粗引きカーブ(〜 s、200ステップ)。解析解の列と並んでいるので、刻み幅 dt を粗くすると数値解がずれていく様子も確認できます |
| 直列合成 | Oatley式と単純直列の比較、透過確率からコンダクタンスへの換算 |
黄色のセルが入力欄です。配管径・ポンプ排気速度・アウトガス条件を書き換えると、到達圧から粗引きカーブまで全シートが連動して更新されるので、そのままパラメータスタディに使えます。数値解と解析解の列を折れ線グラフ(対数軸推奨)にすれば、粗引きカーブが一目で見えます。
実装のヒント
- 表計算で始める: 定常の2〜3ノードなら合成則の電卓計算、過渡もオイラー法なら1列1変数で組める。上のサンプルシートが雛形。各素子の は計算ツールで
- スクリプト化: ノードが増えたら、節点方程式を行列 の形にして線形ソルバーで解く(分子流なら線形なのでライブラリ任せで済む)
- SPICEでも解ける: アナロジーが厳密なので、回路シミュレータに抵抗()・コンデンサ()・電流源()として入力すれば過渡解析までそのまま動く
- 検証を忘れない: 2ノードに縮約した手計算(本記事の計算例のような)と突き合わせてからノードを増やす
まとめ
- 排気系は電気回路と同型: 圧力=電圧、スループット=電流、コンダクタンス=コンダクタンス、容積=静電容量、ポンプ=グランドへの
- 定常は節点方程式(分子流なら線形連立方程式)、過渡は の1次遅れ系。時定数 と到達圧 が設計の要
- 層流・中間流・ポンプ特性で素子値が圧力依存になるが、ODEの数値積分で対応できる
- 分子流の直列合成は単純な 加算だとビーミングで過小評価。透過確率+Oatleyの式か、TPMCで求めた を使う
第13回の設計演習は、この回路網モデルを手計算で一巡したものです。あの計算をスクリプトに落とせば、配管径・ポンプ容量・アウトガス条件のパラメータスタディが数秒で回る「自分専用の排気系シミュレータ」になります。